一度きりの大泉の話を読んだ読書メモ。思っていたよりダメージがなかった。提言騒動って覚えている方いますかね。

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一度きりの大泉の話を読んで提言騒動を思い出した話

出版されてからずっと読んでみたいと思いつつ、とても個人的な手紙のような本だというのが伝わってきていたので読んでいいものか悩んでいた本があります。

萩尾望都さんが書いた「一度きりの大泉の話」です。

さまざまな反響の方を先に読んでいたのでそこから漏れ出てくる情念を感じただけで重い本だなというのが伝わってくるので身構えていました。

正直、良く晴れた天気のいい日に自分に元気のある時に読まないとつぶされるやつだって警戒していたのです。

雨は降ってない曇りの日に読んでみたところ、

マチ
マチ

あれ?思ったよりダメージがないな?

と思いながら読了しました。

これは50年前の永久凍土に封印していたお話。萩尾望都さんにとってまだ生々しい傷ではあるけれど、感受性を失いつつある自分にはそこまで傷を突きつけるものではなかった。

ただ、遅効性の毒のように、自分が今まで過ごしてしてた年月、過去にあった人間関係のあれこれを思い出すあぶり出すことにはなる。なんていうか、美化できない思い出すと「あああああ」と叫びだしたくなる過去ってあるじゃないですか。あれを思い出す本です。

萩尾望都さんからの視点で書かれた本なので「少年の名はジルベール」を読まないとなぁと思っています。事実は一つだけれど、真実は人の数だけあると言ったのは誰だったでしょう。

まさに多分そんな感じなのだろうな、と。

多分核となるのは、徹底的に萩尾望都さんを傷つけたのは盗作疑惑なのですが、この盗作疑惑、盗作というにはとても弱い。モチーフかぶり、設定の一部がオーバーラップするって感じなのですよね。

この感じ覚えがあるなと記憶を探っていて提言騒動というものを思い出しました。

まだ覚えている方はいらっしゃいますかね。

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一度きりの大泉の話を読んでみて思ったこと

読了してもやもやっとしていることを覚えているうちに書いておきたい。

正直あまり激しく揺さぶられるということはなかった。

読む前は多分私は萩尾望都さんの思いに引きずられてひどいことになるんだろうなと思っていたけれどそれはなかった。

もやもやとした気持ちは残ったけれど、このことについて考えてしまうけれど思っていたより気分の落ち込みはなかった。

まえがきからして不穏

まえがきにこの本を書くことになった経緯が記されています。

なんていうかもうここを読んだだけで不穏。なにやらぞくりとしたものを感じます。

いらないところが気になる

細かいところが気になってしまうのが悪い癖なんですけど、最初の方に上京の資金に原作付きの「ケーキ・ケーキ・ケーキ」を描く話が出てきます。原稿料は1枚700円くらいで20万円ほどになりました。ってそれって何枚描いたんですかね。注釈で258頁ってなってますけど、258枚頁!?ってなりませんか?

増山法恵さんという存在

読んでいて思うのが増山法恵さんという存在の影響の大きさでしょうか。

この人がキーパーソンであることは明らかでしょう。

そして、この人自体は漫画を描く人ではない。今名前をつけるとしたらプロデューサーというのか、原案者というのか。イマジネーションを刺激するものを差し出す人であったのだろうと思うけれど、原作者としても名前を出したくない。けれど発見されたいという思い。

それを萩尾望都さんは「落とし穴」と表現していました。

彼女がいなければ産まれなかった物語が多数あるのだろうけれど、彼女の存在がいろいろな問題を複雑にさせ加速させたところがあるのでは。

多分、登場人物の中で自分に一番近いのはこの人ではないかと思いました。

自分で描けもしないのに読む量は多く言いたいことも多くしかし本質的に中身はない。

若き漫画家達のエピソードが楽しい

読んでいて出てくる若き漫画家達のエピソードが楽しくてそこは楽しく読めて良い。

でも、その中に今思い出すとそういうことなのかとちょいちょい挟まれるエピソードと繰り返し語られる少年愛がわからないという思い。一歩引いた感じで見ている感じと萩尾さんの自己評価の低さが際立つ。

きちんと最初に時期を書いているのが、記憶と記録を照合しつつ書いている感じで几帳面というか、事実ではないことは書きたくないという思いを感じる。

ポイントは盗作疑惑

結局の所、問題は、ポイントは竹宮恵子さんから示された盗作疑惑

これが肝。

この盗作疑惑も竹宮恵子さんと増山法恵さんの間で話している間に盛り上がって確証になっちゃったんじゃないかなって気がします。

竹宮恵子作品と萩尾望都作品を読み比べてみても、盗作といえるものはない、のは自明なんですけれど、モチーフかぶりはあった。でもそれは同居していて同じ映画を見、同じ本を読みっていしていたらそりゃあり得ることですよね。

この盗作疑惑問題、とてもなにやら覚えがあるんですよ。

もはや記憶から薄れつつある提言騒動

昔、2003年くらいにネットのオリジナルなBL小説を書いている人の間で持ち上がったある問題があります。

提言騒動とか言われているやつなのですが、2021年5月現在、もはや18年くらい前のことになるんですね。

もう跡地がちょろっと残っているくらいであの時の詳細を知る人は少ないでしょう。

ヤフーのホームページのサービスが終了したことにより関連リンクが軒並み死んでいます。

提言騒動とは簡単に言えば「ネタかぶり、ささいな類似でもある程度の人が似ているな!って言うなら後から書いた人はその話を下げろ」っていうルールを作ろうとした話なんですよ。まあ、当然のごとく揉めました。

影響力がある人が、後から人気が出た人の作品を下げさせようとして周りを巻き込んで包囲したって感じの出来事です。

私ももう記憶から薄れていましたが、あの時に感じたもやもやと今回この大泉本を読んで感じたもやもやは似ているように思います。

私の方が先に〇〇を描いたのに、似てる話を書くなんてひどい!ってやつですね。

ネットで調べてみたら出てきたこの方のノートが、

私の記憶とかなり近いです。

仲間内での暗黙のルールを突きつけてくる感じが似ている。

こういうことは繰り返し、何度でも同じように起こるのでしょうか。

書かれては消されるブログ

この一度きりの大泉の話が出た直後、2021年04月26日に竹宮恵子さんのアシスタンをしていた漫画家さん、村田順子さんがブログでこの本について書きました。

そしてすぐに消しました。

また、2021年5月25日に竹宮恵子さんの公式ホームページ内にある、竹宮恵子さんの妹でありマネージャーさんが「わんマネblog」でこの本について書きました。

そして、翌日2021年5月26日に削除されました。

正直、消すなら書かなければよかったのに、と思います。

一度インターネットに出してしまえば、消しても残るのをご存じないのでしょうか。

裁判も辞さない

トーマの心臓を書いている時に漂ってくる盗作疑惑のうわさに、もしも誰かから正式に「盗作だ」と言われたら名誉毀損の裁判でもなんでやる、そのための証拠も示すと書かれています。

その決意を持っている萩尾望都さんがこの本を書いたということは、この本によって何かが起こった時のことも当然想定しているのでしょう。

この本はとても注意深く書かれています。いつの事だったのか。誰が何を言ったのか。覚えている限り詳細に、時には当時の事を本人に確認しつつ書かれています。

なので多分、書かれている事は限りなく事実に近い、少なくともそういう事件はあったのでしょう。

ただ、あくまでこれは萩尾望都側から書かれたものであり、書かなかったこと、(覚えてなくて)書けなかったこと、もあるのでしょう。

もう一つの真実

私はまだ竹宮恵子さんが書いた「少年の名はジルベール」を読んでいません。

どちらから読むべきかすごく悩んだのですが、多くの方が出版順に「少年の名はジルベール」を読んでから「一度きりの大泉の話」を読んでいるようだったので、じゃあ逆に読むのもありかなと思いました。

「少年の名はジルベール」が出たからこそ周りが騒がしくなり「一度きりの大泉の話」が書かれたので順番としてはジルベールから大泉なのですが、ジルベールを先に読むということは竹宮恵子さんの視点が最初に基準になってしまうと思ったのです。

もう少しして落ち着いたらジルベールの方も読んでみたいと思っています。

「少年の名はジルベール」を読んだ覚書感想メモ。綺麗にまとまっているけれど語ってないところをこそ知りたい
「一度きりの大泉の話」を読んだからには読んでおかないといけない本がある。 それは竹宮恵子さんが書いた「少年の名はジルベール」 そう思って読みました。 「一度きりの大泉の話」を読んでから読むと、最初からして驚く。 ものすごく最初から萩尾望都さんの名前が出てくる。とても出てくる。 ちょっとまって、大泉本で萩尾望都さんのマネージャーの城さんが「仮に萩尾望都が登場するにしても数行にとどめてほしい」と言ったという情報を得ていたのでこんなにみっちり登場するとは思っていなかった。 読み終わって、読みやすいのは「少年の名はジルベール」だなと思います。 こちらはなんていうかわかりやすい。少女漫画に革命を起こそうとした竹宮恵子さんの自伝としてよくまとまっている。綺麗にまとまっている。 ただ、大泉本を読んでから読むと、なんていうか気持ち悪い。もやもやする。 書かれていないことがたくさんある。サラッと流されたそこが知りたい。 そして視点が違えばこれだけ物事は違うのかという思いが強くてクラクラする。 「少年の名はジルベール」を読んだ覚書感想メモ 私は大泉本を読んでからこの「少年の名はジルベール」を読みはじめたの...

一度きりの大泉の話を一度きりにしておいてほしい

多分、萩尾望都さんはかなりの覚悟と準備をもってこの「一度きりの大泉の話」を出したのだと思うのです。

もしも、この本を出したことによりいろいろな事が起こったとして、それに対応できるような準備をしているのだろうと。

望むのは平穏な生活。もうあのことでわずらわせないでほしい。その願いが叶いますように。

これを読めば神格化もドラマ化も無理なことはわかるでしょう。

ただ、この本が出ることによって、逆に話題性が上がってしまったのが微妙なところですね。