こんにちは。お腹が痛いです。
人は何故お腹がいたいと、
神様!
と思うのでしょうか。
私は基本的に特定の宗教を信じていません。そりゃあ伊集院さんでしたっけ?
いくら無宗教だからってお地蔵さんを足蹴にするとか、賞味期限切れでもおにぎりを踏めって言われたらできない。
っていうのはすごく共感します。
けれど別に特定の宗教に思い入れがあるかと問われると、ない、です。
そんな私が唯一、強い思いを持って神に祈ることがあるとすればそれはお腹が痛い時です。
この時ほど信仰心が高まることはないのではないでしょうか?
日本人と宗教心
日本人の多くはあまりこう特定の宗教をどうこうっていうより、多種多様なあり方を受け入れている気がします。
宗教にのめり込む人も中にはいます。けれどお葬式は仏式で、結婚式はキリスト教式で、盆には墓参りで正月には初詣で、クリスマスにはケーキを食べてハロウィンが来たらとりあえずかぼちゃを食べてそういや冬至にも食べるよねってなったりするわけです。
神社に行ったらとりあえず二礼二拍手一礼です。
お寺に行ったらとりあえず手を合わせて拝んだりします。
それなりに結婚式に出席していると賛美歌の歌詞カードを渡されたらなんとなく合わせて歌えるようになっていたりします。
般若心経がある程度、唱えられる人もいるでしょう。
中二病を患っていた過去がある場合、光明真言あたりを唱えられる可能性が高まります。
九字が切れたりしませんか?
ギガ・スレイブを唱えられたりしますよね?
と、ちょっと脇にそれましたが、なんとなく多種多様な宗教行事に参加したり、宗教的所作が身についていますが、特に信仰しているという意識はないと思われます。
まあ、あえて何を信仰していると言われたら、お天道さまとか八百万の神様ですかねー
って感じです。
信仰によって神は神となるのか?
神の定義というのはかなり難しいことでしょう。
ただ、日本において八百万の神様って言われるくらいたくさん神様がいるのは、
神様だと思って信仰したら神様!
っていう法則というか、しきたりというか、なんかそんな感じの共通認識がある気がします。
石だろうが樹だろうが、怨霊だろうが、それを神と認識し崇めればそれはもう神なのです。
長い年月そこにある、とか、とても大きい、というのは信仰のきかっけに十分なりうる要素ですね。
そういう、信仰によって神が神になるのであれば、信仰の強さはその神の強さと言えるのではないか。
よく小説などに出てくる、忘れ去られることで力を失う神という存在が出てくるのは、信仰こそが神の力であるという共通認識から来ているのでしょう。
日本で一番信仰を集めている神とは!
信仰こそが神の力であるとするならば、日本で一番信仰を集めている神が一番偉い神様ということになります。
日本で一番偉い神様って誰?って考えると真っ先に思い浮かぶのは天照大神です。
しかし、天照大神は一番信仰を集めている神様でしょうか?
私は多分そうではないと思うのです。
日本で一番純粋で強い信仰を集めているのは腹痛の神様です。
だってそうでしょう?
お腹が痛い時、人は神を呼ぶ!
宗教心がかなり薄い私が神に真剣に祈る時、それはお腹が痛い時です。
めっちゃお腹が痛い時、人は神に祈るのです。
お腹痛い。お腹痛い。神様お願い、この痛いの治してください。いい子にするから、もうヤバそうなものは食べないから許して!
って思います。
別に神様のせいでお腹が痛くなったわけではないのですが、許しをこうのです。
この時、めっちゃ神様を信仰しています。頼っています。この上なく真剣に「かみさま!」って思います。
この信仰パワーかなり強いし純粋だと思います。
祈っている相手は天照大神ではない
このお腹が痛い時に祈る相手は神様です。
神様なんですが、考えてみると日本で一番偉いだろう神様、天照大神を想定して祈っているわけではありません。
天照大神様は女神だし、ちょっとお腹というか下関係で祈りにくい雰囲気があると思います。
どっちかと言えばスサノオの話を知っていると、大気都比売神の方が連想されやすいと思いますが、あまりメジャーじゃないですよね。
私がお腹が痛くて「かみさま!」って祈っている時の神様はなんていうか特定の神様というか、本当に腹痛に特化した神様な気がします。
共通の名前がつけば一番強い神様ではないか
多分、誰の心の中にこの腹痛の神様はいるのではないかと思います。
お腹が痛くて「神様助けて!」って思ったことありますよね?
でも、腹痛の神様として特定の名前を持たないのです。
なので、数多くの人に信仰され、腹痛の折には強く強く祈られているにもかかわらずその信仰力は分散していると思われます。
名前が、この腹痛の神様を示す共通の名前がありさえすれば、この神様はかなり強大な力を持つのではないか
私はお腹が痛い時にいつもそう思います。
とりあえず祈っているとお腹痛いの治ってきた!
私がなぜこの文章を打っているのか、それはお腹が痛かったからです。
お腹が痛いと私はこの神様のことを考えます。
いつもは全然考えていないのに!
お腹がいたいときだけ頼ってしまうのです。お願い神様たすけて!そう願います。
そして、この信仰心について考えるのです。
今日もお腹が痛かったのでかなり腹痛の神様を信仰しました。
そしてこの文章を打っていたらお腹痛いのが治ってきました。
よかった!ありがとう神様!