こんにちは。先日KUBOという映画を見てきました。
ノーチェックな映画だったのですが、ツイッターでかなり口コミで評判が広がっていて、できたら見たい映画だなっと思っていたのです。
アニメ映画『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』がヤバいくらい素晴らしい傑作だったので(上映回数が減る前に)急いで紹介マンガを描きました。映画ファン以外にあまり本作の魅力が伝わってない気がするので、「クボって誰なん?日本人?」というくらいの方にも観てもらえると嬉しいです。
#クボおすすめ pic.twitter.com/rO6oQaDWlT— ぬまがさワタリ@生きもの図解本12/15発売! (@numagasa) 2017年11月25日
ただこの映画、上映館がかなり少なく、ついでに上映期間も短めなようでして。
地元ではやってないのですよ。つらい。
ということで京都まで行って見てきました。そこまでして!と自分でもちょっと思ったのですが、そこまでして映画館の大画面で見れたことを幸せだと思います。
ストップモーションアニメという信じられないほどに手間隙と愛情をかけられた映像を大画面で見れてよかった。本当にそう思います。
見ている間、口が開きっぱなしになって、ひっ、とか、へっ?とか、ほー!とかそういう感想しか出てこなくなるくらい衝撃的な映像でした。
物語としては、個人的にはひっかかる点がちょいあったのですが、映像の凄まじさがすべてを凌駕している作品でした。
忘れないうちに、見て思ったことを吐き出しておきたいと思います。
個人的な感想であり、ネタバレをします。つっこみもします。
まだ見ていない人には正直これ以降を読んでほしくはありません。できればまっさらな気持ちでこの映画と向かいあってほしいからです。
本当に、何を言ってもネタバレになって、あの衝撃を受ける幸せを邪魔することになると思うので、できれば何も情報をいれずに見に行ってほしいです。
近くで上映している環境の方はかなり幸運な方です。見てきて下さい!
ネタバレあります! まだKUBOを見ていない方はお帰り下さい。
また、納得いかなった点についても書きますので、絶賛しか見たくない方もお帰りいただけると幸いです。
クボ 二本の弦の秘密を吹き替えで見るか字幕で見るか
まず、私がクボを見に行くにあたって悩んだのが、字幕版を見るか、吹き替えを見るかの選択です。
京都で見たのですが、ほとんどの上映が字幕版で、吹替え版は初回の一回のみという設定になっていました。
どっちがよいのかについての情報も集めてみたのですが、どちらも出来がよいということでした。
普通の洋画であれば、字幕を選ぶところなのですが、このクボという映画はストップモーションアニメーションです。その細かい動きを見るのには字幕よりも吹替えの方がいいのではないかと思って私は吹替えを選んでみました。
結果として、個人的には吹替え最高!って思いました。
どの人も上手かった。とてもはまっていると思いました。主人公のクボがクレヨンしんちゃんだとは見終わって感想をあさるまで気がつきませんでした。
闇の姉妹の高笑いもすばらしかったですし、サルもとても優しくかっこよかったし、クワガタのひょうきんな感じも素敵でした。
そして、ばあちゃんが小林幸子だとはぜんぜん気づいてませんでした。いい味だしまくりでした。
あとは、言葉の選び方がとてもよかったです。
字幕版だと「瞬きするなら、今のうちだ」ってなるらしいのですが、
吹替えだと「瞬きすら、してはならぬ」ってなっていて、私はここがたまらなく好きです。
トゥーランドットでしたっけ?「誰も寝てはならぬ」を思い出しますよね。
開始直後に意味がわからなくなります。ストップモーションアニメってなんでしたっけ?
もう、しょっぱなから映像がすごいです。のみこまれます。
なんなのでしょうか、あの海!あれ作り物なんです?そして三味線でジャンってするとモーゼのごとく海が割れるんです?
そして岩に打ち付けて額も割れてます。めっちゃ痛そう。
もうあそこの冒頭だけで、これが人形を動かして撮っているってことを忘れそうになります。
めっちゃ生きている。生きている以外の何ものでもない動きなんです。髪の毛一本一本まですさまじく生きている。海がうねっている。
えっ!?なんですかこれ?って呆然とします。
映像すごすぎて語りをあまりちゃんと聞いてなかったです。
これを、ちょっとずつ人形を背景を動かして撮っているのです!?意味わからない手間隙ですよ!?細部に神が宿るってやつですよね。すさまじすぎです。
母親の壊れっぷりがちょっと怖い。
主人公のクボが母上の面倒をかいがいしく見るシーン。あそこら辺でも動きと表情のなめらかさにびびります。
何これすごい。これ以外の言葉を無くします。どんどんと世界に引き込まれていきます。
母上が心を病んでいることは十分伝わってきました。
クボが母上をこの上なく大切に思っていることも伝わってきます。口の端についたご飯粒をつまんで取るあたりが好きです。
クボの紙あやつりと語り。
三味線で紙を操って物語を語って、クボが日銭を得ていることがわかるのですが、あの折り紙の動きもありえない精巧さですね。
もう、途中からこれがストップモーションアニメだってことを忘れそうになります。といいますか、物語に引き込まれると忘れちゃいます。
で、たまに思い出して、すげーすげー!今めちゃすごいものを見ている!!って興奮します。
クボが物語を最後まで語れないのは、母との夜には出歩かないという約束と母上から物語の最後を聞いていないからっていう二つの理由があるようです。
母上の話は心を病んでいるので話半分に聞いている感がありますね。基本母親の妄想物語であってどこまでが真実なのかの境界が曖昧になっています。
でも結局全部真実だったわけですが。
母親との約束が三つ
母親がクボに言い聞かせたことが三つあったと思います。
- 夜には出歩かない
- サルのお守りを持ち歩く
- 父の家紋の入った服を身に着ける
でしたっけ?
夜に出歩いてはいけないわけは、月の帝と闇の姉妹に見つかってしまうから。
サルのお守りと父の家紋には母のまじないがかけてあるから。
という理由なのですが、このうちの夜には出歩かないっていう点がちょっとひっかかりました。
あんなちょこっとの夜時間で発見されて闇の姉妹が来ちゃうものなの!?
お盆(ですよね?)に亡くなった親しい人に会えると聞いて、紙で灯篭を作って母との約束を破って日没まで村にいたクボの元に、闇の姉妹が現れます。
あそこの場面、めっちゃ不気味で美しくて私は大好きです。
クーーーボーーーーーってあの声がたまりません。いい声です。
大好きなんですが、見つかるの早すぎ!来るの早すぎですよ!!って思います。
月があるうちは月の帝無双状態で即発見!なのかもしれませんが、そうするとその後のサルとの逃亡の時に、闇の姉妹が追いつくまで時間的猶予があったのがちょっと解せません。
夜の間は隠れていたのでしょうけど、ちらっとでも月光の下に出たら発見されちゃうってかなりのハードモードですよね。
ついでにいえば、昼間の月ってものもあったりしますけど、あの状態だと太陽光がまさっているので月からは何も見えない設定なのでしょうか。
あと、新月なら夜に外に出てもいいのでは?!と思いました。満月だけはめっちゃ要注意な気がします。
サルが女性だった驚き。
吹替えを見ていて、サルの声が女性だった時に、んん?って思いました。
だってクボがサルおじさんって呼んでいたからです。
まあ作中でも何回かクボが言ってましたけどね、サルおじさんって呼んでたのに!って。
こっちも同じ思いでしたよ。確かおじさん言うてたのに女性なのかよ!!って。
まあ、ストーリーが進むと、ああ、女性じゃないと駄目ですよねってなりましたけど。
サルのカッコよさはこの映画の肝ではないかと思います。
強く優しく、クボのことを思っていてくれるサルがとにかくチャーミングです。素敵です。
動きがほんとすごいですよね。クボを見つめるまなざし、なでる手つき。その動きすべてが繊細にサルの感情を伝えてきます。
毛の一本一本が緻密に動いていますし、アクションシーンの迫力もすごいです。私はもうサルに惚れたといってもいいくらいサルを見ていました。
サルの目の傷もちょっと気になっていたのですが、サルおじさんの時にもうあったんです?
母上とは反対側だったような気がするのですが、もう記憶が定かじゃないです。
父の家紋はクワガタなわけで。
クボの背にあるのが父の家紋です。
クワガタですね。この家紋にも母は事前に細工をしていたようで、クボを安全な場所まで転移させます。
そして、なんだかんだあって、クワガタと出会うわけです。
元侍で記憶がなくて、剣と弓が凄腕なクワガタです。
もう、ここでそういうことですよね?ね?ってなっていましたが、そういうことでしたね。
ちょっとおとぼけなクワガタもとてもよいキャラでした。
サルに優しくされるととても嬉しそうなのが見ていて楽しかったです。
三つの武具について あんまり役立ってないのでは?
月の帝に対抗するために、三つの武具を集めないといけないってなるわけですが、あの武具結局なんのために集めたんでしょうかね。
最後の最期にクボが持っていたのは三味線のみなわけで、折れずの刀も、なんとかの鎧も、なんとかの兜も必要なかったですよね。
折れずの刀の謎
折れずの刀があった場所といいますか、状態なのですが、あのしゃれこうべの手にぐさってささっていたのは偽物だったわけですよね?
あんな仰々しく飾ってあったのに!!
ついでに、折れずの刀をしゃれこうべから抜いたら、動きが停止したってことは折れずの刀が動力源っぽいものだったということになるわけで。
あれ?折れずの刀刺さったままじゃないですか。だったらあのしゃれこうべずっと動ける状態だったのでは?
偽物の刀が抜かれた時点で起動スイッチが入る仕掛けだったの?
あそこら辺、謎ですね。
あと、折れずの刀って剥き身で刺さっていたので、次の場面くらいからさらっと鞘が出現していたのにびっくりしました。
その鞘どっからでてきたよ!いつのまにかクボが折り紙で作ったの?
刀の剃りとかあるから鞘ってちゃんと作らないと合わないですよね。
なんちゃらの鎧は湖の底
鎧は湖の底にあって、目玉のおばけみたいなのに見つめられると心をもっていかれる感じでした。
その目玉に察知させずお魚を探していたクワガタすげーな。記憶がないから攻めようがなくて目玉に放置されたのかな?
まあ、あそこらへんで、サルがあれだってことがクボにわかるわけですよね。
そして、クボが水中にいる間の、サルと闇の姉妹との戦いがとてもかっこよかったわけです。
すごい戦闘でした。すさまじい動きです。
足場がどんどん崩れていく中での戦闘です。サル強いし、闇の姉妹は容赦ないし、素敵すぎです。
なんちゃらの兜はそこかいっ!!
最期の武具は兜なわけです。
なにやら光にまみれた盲目っぽい老人が三味線を持って夢に現れたあたりで、見てる人間としては「クボー!そいつきっとラスボスだから!!それガセ情報だから!!」ってなるわけですが、クボには伝わりません。
父の砦に行くわけですね。
父の砦のふすま絵かなんかに父と母と赤ちゃんなクボが絵が描かれていたり、しゃれこうべや目玉のおばけの絵があったような気がしますが、あれはどういう意味なのでしょうか?
三つの武具って所有者が消えるとまた元の場所に戻る仕様なんです?
闇の姉妹がやってきて戦闘になるわけですが、ここでクワガタの謎が明かされます。
まあ、バレバレでしたけどね!といいますか、クワガタあっけなさすぎです。もうちょい活躍しろよ!って思いました。
結局最強なのは三味線なんです?といいますか三味線の弦を切るってのが最強呪文発動条件なんです?
二本の弦を切ってその場を制圧して、最後の一本を切って元の村へ移動でしたっけ?
兜があれだっていうのを見たときには、そこかい!!って思わずつっこんでしまいました。
もう一度映画を最初から見れたら、あれが兜なのかどうかをじっと観察したいと思います。
月の帝との対決シーンとその決着 納得いきません。
村へ飛んで、兜を発見して、三つの武具をそろえた状態で月の帝との直接対決になるわけです。
あの帝の変身した龍っぽいものの動きもやばかったですね。ぬるぬる動いていました。メイキングでちょっとありましたけど、あの動きもちょっとずつ動かして撮っているんですよね。すごいです。
途中手みたいなのでクボを掴むシーンがあって、あれ?あの体に手なんてあったっけ?っと思ったら尻尾が手みたいになっていたので、そこが手かよ!!ってつっこみました。
クボは三味線に、母の髪の毛と父のあれはなんなんでしょう?クワガタには髪の毛っぽいものはなかったような気がするのですが。まあ何かと、自分の髪の毛で三本の弦を張ります。
私ずっと思っていたのですよね。題名が二本の弦の秘密っていってるけど、使っているの三味線じゃないですか。二本なら二胡では?っと。二胡だと中国楽器なんでちょっと違うよねって思っていました。
いつ二本の弦の秘密が出てくるのーって思っていたのですが、最後でしたね。
三味線の三本の弦のうち二本を母と父の形見で張るって意味だったんですねー。そして残りは自分の髪の毛で、三味線の上に家族が再現されています。
父の物語、母の物語、サルの物語、クワガタの物語、そこにクボの物語が加わって三味線が最強武器にレベルアップです。
戦闘で三味線を鳴らすってのがああまでかっこいいことなのかと思いました。
いい音色ですね。
人の残した想いが力になる。素敵なシーンでした。
ただ、私はあの月の帝の最後には納得がいきませんでした。クボという映画を見ていて一番自分の感性との違いを感じたのはあのシーンです。
記憶を無くし、ただの老人となった月の帝に、村人達が次々と声をかけるあのシーンです。
あんたは優しい人だった。おこずかいをくれたのよ。クボのいいじいちゃんだった。村のために尽くしたんだ。みたいに記憶の上書きをしようとするあのシーン。
正直に言えば少しぞっとしました。
それ、洗脳じゃん!!
ってのが感想です。うっわー怖い。記憶を無くしたところに、あなたはこういう人間だったって植え付けようとしてますやん。それはどうなの?ってかなり動揺しながらみてました。
それでその通りの人間に月の帝がなってめでたしめでたしってのはちょっと違うのではないかと首を傾げました。
物語のラスト、お盆にクボの呼びかけに応じて二人が現れることの意味。
物語の最後に、お盆がまたやってきて、クボが灯篭を二つ用意して二人に呼びかけ、二人が応じて物語が閉じるあのシーン。
あそこを見たときに、この物語の最初の方で、クボが父上を呼び出そうとしても来てくれなかったのは、父はクワガタとしてまだ生きていたからなのだろうなぁと思いました。
生きている人間は呼び出せない。
ということは、最後クボが呼び出せたということは母も父も正しく死んでしまっているのかと思いました。
サルもクワガタももういないのかと、さみしく思いました。もしあの呼びかけに応えることがなければ、またどこかで会えるということを夢見れたのではないかと思ったのです。
でも、そうなるとKUBOの物語が終われないわけです。
個人的には終わらない物語があるってのもいいことじゃないかと思うのでけれど。
サギが印象的でした。魂を運ぶ鳥。鳥の中で唯一官位を認められたあの鳥が光となって美しく飛ぶ姿が目に焼きついています。
いい映画を見たなぁとしばらく呆然としました。
結局クボの目はどうして必要だったのか。
生まれた時に片目をおじいさまに奪われて、でももう片方はかろうじて父が守ってくれて母と二人で逃げた、みたいになっていました。
ついでに、闇の姉妹の登場シーンでも目をよこせ、おじいさまが必要なの。みたいに言ってたと思うのですが、クボの目がどうしておじいさまに必要だったのかってところがうまく読み取れませんでした。
おじいさまに必要というよりは、下界の汚いものを映す目はじゃまだからとっちゃえ!的な解釈をクボが語っていたような気がしますが、目をえぐれば月の住人になれるかというと多分そうじゃない気がするので謎です。
おじいさまは出てきた時は両目が見えてないみたいだったんですが、記憶を無くした後は片目が見えてるっぽい描写だったんですよね。
この片目がクボから取り上げた目ということでしょうか?
そうするとクボからもう一個目を取り上げたら、帝は両目が見えるようになって下界の汚さ(優しさ)が見えちゃうので、月の住人じゃなくなるのでは?という気がします。
永遠の命で家族みんなで過ごしたいから、クボと娘を取り返したい的なことが帝の理屈っぽい気がしたのですが、クボの目を抉り取る必要はあまりないんじゃ?って思ってそこがよくわかりませんでした。
月の住人のあたり、竹取物語がモチーフだと思うのですが、かぐや姫があわれいとおしかなしと思う気持ちがなくなっちゃった天の羽衣を用いればよかったのでは?と思いますね。
あと、永遠の命のわりにおじいさまが普通に年をとっていらっしゃったのが、あれ?って思いました。
クボ父と母の馴れ初めが喧嘩ップルでちょい笑ったのです。
サルに語られた、クボの父母の出会いって、めっちゃ母が父を殺しに行って死合になって、その母の強さに父が惚れてくどいちゃった!ってお話でほほえましかったです。
その後、クボが生まれるまで帝には隠せてたのかなぁ。
生まれた途端に帝との関係が劇的に悪化したっぽい感じだったのでそのあたりも気になりました。
あの折り紙でのカップル成立までのお話は母の折り紙がひらひらしていてとても綺麗で好きです。
なんであんな折り紙なのに美女で激強ってわかるんだろうって不思議に思いました。
そういえば、クボってどういう意味なのか。
あまり意味はないのかもしれませんが、主人公の名前のKUBOってのはどういう意味でつけられた名前なのでしょうか?
普通に変換すると久保ってなるのですが、これって苗字ですよね。じゃあ窪なんでしょうか?
くぼみって意味だとするとおじいちゃんにえぐられちゃった目が名前の由来です?それはちょっとひどいと思うので何かもっといい由来があるといいなって思います。
KUBO 二本の弦の秘密 の総合評価。
いろいろつっこんでしまいましたが、私はクボという映画が大好きです。
ちょっと無理をしてでも見てよかったと思いました。
あのすさまじいまでの映像を大画面で見れたことを幸せに思います。
闇の姉妹は不気味に素敵でしたし、サルはとてもかっこよかったです。
ほんとうにいい映画でした。
できれば字幕でも見たいのですが、上映館が増えたりしてくれませんかね。
本当に、近くの映画館にリクエストメールでも出したらなんとかなったいしないかしら?と考えるくらいにはまた見たいです。
見れる環境の人には積極的に見てもらいたいですし、どんな形でもいいので感想を呟いてほしいと思っています。
とりあえずあのすごい衝撃の映像を見てほしいです。見た人と語りあいたいです。
いい映画でした。