「ぼぎわんが、来る」映画「来る」と原作の小説との違い。違いすぎてびっくり!いろいろ反対じゃないですか!?

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「ぼぎわんが、来る」原作の小説と映画の違いにびっくりしました。

こんにちは。映画「来る」を見て、原作の「ぼぎわんが、来る」が気になったので読んでみました。

そしてあまりの違いにびっくりしました。

  • えっ!?最初の方の地獄だった法事シーンとか結婚式とか新居パーティは原作にないの!?
  • えっ!?あの幼馴染のちさちゃんもいないの!?
  • ちょっと待って、柴田理恵の設定がメディア取材NGってどういうこと?
  • 岡田准一の離婚理由が無精子症って映画と設定逆すぎでは?

って驚きの連続でした。

びっくりしすぎたのでこれを書いています。

以下映画と原作のネタバレもりもりでいきますので、ネタバレが嫌な人は先に小説を読んでみてください。。

 

では、ネタバレありあり、映画を見たという前提で語ります。ついでに私が映画から入ったので、主人公?のイクメンパパは妻夫木、オカルトライターは岡田准一、片腕をやられた女性霊能力者は柴田理恵と呼ぶ箇所があります。

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原作小説「ぼぎわんが、来る」と映画「来る」の違い

大きいもの、細かいものを取り混ぜて、映画「来る」と原作「ぼぎわんが、来る」との違いで私が気づいた点を上げていきます。

また、違いというか、映画で端折られていたのはこういうことだったのねっていう部分もあります。

法事シーン原作になし

まずびっくりしたのが、映画で最初の方でかなり長く綿密に描写されていた田舎の地獄な法事シーンが原作にはありませんでした。

確かに婚約者を十三回忌?に連れてくるのはおかしいなぁって思ったのですが、映画オリジナルだったんだ。めっちゃ田舎の法事の嫌な感じが出ていてあそこを見ているだけで気分が悪くなってきたしこの男は駄目だから!ってめっちゃわかったシーンでしたが原作にはありません。

その代わり、イクメンパパ妻夫木の祖父のお通夜シーンが原作にはあり、そこで「がんこ」や「ぼぎわん」について語られます。

祖母の出身地が三重県のM地方でそこでは「がんこ」と呼ばれている化物がいる。

祖父の出身地が三重県のK地方でそこでは「ぼぎわん」と呼ばれている「がんこ」なんかよりよっぽど怖いものがいる。

しかし祖母、昔一回だけ聞いたばけものの名前を正確に覚えているとかすごい。私なら絶対に忘れている自信があります!

映画と舞台も微妙に違っている気がするのですよね。

イクメンパパの父母が住んでいるのは京都。祖母が住んでいたのは大阪の下町。

イクメンが小さい頃に認知症が進んでいた祖父にぼぎわんが訪ねて来て一瞬正気に戻った祖父が追い返したのは大阪の下町の祖父母の家でのことです。

イクメンパパの母の描写

これは法事シーンを追加した時に属性が増したのだと思われるのですが、イクメンパパの母親が映画では裏表があるといいますか、かなの育ちに不満を持っていた描写がされていました。

しかし、原作ではそのような、田舎のおばちゃんのいやらしさを表すような描写はないように感じます。後半に行くと息子が変死したことによりかなに不信感を抱いている感はありますが、それは納得できる範囲内でした。

結婚式、新居パーティの描写なし

原作には結婚式の描写がほとんどありません。結婚式がないのだから二次会もないわけで准教授がなんかかなを狙っているなとか、会社の女性とイクメンパパできてたやろ!っていう描写もないです。

新居パーティで妊婦をこき使いながらウェイウェイするところもありません。

ただ、後に1行ですが、イクメンパパが会社の女性を多分結婚後も食っていたという描写はあります。

お山に連れて行かれた幼馴染の女の子「ちさ」もいない

原作を読んで驚いたのが、映画ではとても印象的に描かれていた幼馴染の女の子「ちさ」がいなかったことです。

えっ!?いないの?って思いました。めっちゃ重要人物じゃなかったんかい!ってなりました。

無意識で覚えていたから娘の名前にも「ちさ」と付けたし、名前が同じだから通じ合うものがあって娘ちさがぼぎわんと遊んだりしちゃったんじゃなかったんですか!?

びっくりです。

いもむしもいない

これもびっくりだったのですが、原作にはいもむしいません。蝶々をちぎって遊んだりもしていません。

映画を見る上で、怖かったというか気持ち悪かったといいますか、人に紹介する上で「虫がうじゃうじゃしてるのが駄目ならだめだと思う」ってなったのですが、その芋虫がいません。

ぼぎわん、芋虫とまったく関係ない!!

前触れとか先触れとかそんなのじゃ全然なかった。

子宝温泉けっこう重要

祖父の地元のK地方に最近湧いたという子宝温泉が原作ではけっこう重要ポイントです。

ここでさりげなくかなと最強霊能力者琴子がニアミスしています。琴子の体中の傷をDVなのかと誤解するシーンがあるんですよね。

その後も、オカルトライター岡田准一がぼぎわんの謎を追うあたりで「なるほどそうなるのか」って感じで出てきます。

ここらへん関係は映画ではすっぱりカットですね。

とばっちりの部下はのどは乾いてない

ぼぎわんのわかりやすい被害者第一号。でもなんでこの人が襲われたのかさっぱりわからないイクメンパパの部下の高梨さん。

会社の入り口で「ちささんの件で用がある」って伝言を受けただけのとばっちりの人。

この人の病状として、肩を何かに噛まれて治りが遅くて衰弱して最終的に死亡するわけです。

でものどが渇いて仕方ないっていう映画の描写は原作にはなかったです。遮光はされてて目がぎらぎらはしてました。

映画だと准教授も「喉が乾く」っていう同じ症状が出てくるんですけど、原作だと准教授は無事なんですよね。魔導札つかって呪っていたのに穴2つになっていません。なぜだ!

准教授のお名前や犯行動機などが違うし、かなと寝てない

イクメンパパが最初にぼぎわん関係で助けを求める相手、民俗学の准教授ですが、原作と映画では結構違っています。まず名前が違います。

そして、妻夫木との関係も、原作では中学時代の友人で実家で年賀状を見て思い出したので十数年ぶりに再会して相談したって感じです。

映画だと大学時代の友人で結婚式にも出席して新居パーティにも来ていたので関係の強さが違いますね。

そんでもって原作ではかなの事はイクメンパパの死後狙っていてコナをかけていますがかなにその気はなく避けられています。

魔導札を贈った理由は原作では自分になびかないのでちょっとかなを呪ってみたって感じです。

かなは准教授と浮気していないし死んでない

原作を読んで驚いたのがちさの母、かなの人物像が映画とかなり違っていたことです。

大きな改変としては、准教授との浮気が原作ではなかったことです。えっ!?そうなの?って思いました。

表面だけイクメンの妻夫木に疲れ果て愛情はなくなっていたようですが、妻夫木の生前も死後も准教授と関係してないです。

一応死後に准教授からお誘いを受けていますが、ありがた迷惑っぽく断っています。

ついでに、かなが原作では死んでないってところにもびっくりしました。トイレでぼぎわんに襲われてほぼ廃人になってしまいますが、ちさと再会できたことで奇跡的に復活です。

ついでにかなの喫煙描写にもおどろきました。

映画だと婚約者の法事に連れてこられてストレスが溜まって抜け出して一服シーンがありました。

原作では夫の死後二週間後くらいに数十年ぶりにタバコを1本だけ吸ってます。映画見てるとストレスたまるとけっこうスパスパ吸う人だと思っていたのでびっくりしました。

また、かなの親に関する描写も映画と原作では違っています。映画では多分水商売をしているでろうシングルマザーに育てられ、あんな女にはなるまいと自分を抑圧していたようでした。

原作では両親とも酒浸り、小学生のころ両親からする酒の匂いが嫌で怖かったという描写があります。愛情をあまり受けずに育ったのは一緒でしょうが、原作にはかなの親は出てきません。

もう亡くなっているか縁を切っているかのどちらかのように思います。

映画を見ていると、盛塩を足でぎりぎり踏むあのシーンがすっごく怖かったんですが、原作にはあのシーンありません。

かなはちさを守ろうとした母であり、准教授との関係で女であることを選んだりはしません。

伊集院さん原作にいなかった

映画に出てきたかなが勤めているパート先のスーパーの店長さん。伊集院さんがやってた役ですね。

あれ、原作にいませんでした。

っていうか、かなが勤めていたスーパー優しいですよ。預け先がちゃんと決まってない時点でパートに雇ってくれて、新幹線でぼぎわんに襲われてほぼ廃人になっていたのに籍をずっと残してくれていたんですって。

原作読んで、このスーパーだったら病気のちさちゃん連れてきても多分受け入れてくれるのでは?って思いました。

ん?原作では結局、ちさちゃん保育園には行ってないな。まこと保母さんによって面倒見られています。

准教授が魔導符を贈ったのはイクメンパパの死後

映画を見ていて、ん?って思ったのが准教授が魔導符を贈った時期です。

あの御札、イクメンパパの仏壇にあったけどいつからあの家にあったの?って思いました。

魔導符があったからぼぎわんが来たのだとすると、イクメンパパが生きているうちにあったの?って思っていたのです。

原作を読むと時期がはっきりわかります。イクメンパパの死後、岡田准一を通してかなに渡されています。

映画では岡田准一はあの御札を初めて見た感じのリアクションだったので映画だと直接渡したんでしょうか?

映画だと准教授が魔導符を使った理由がいまいちよくわからなかったんですよね。イクメンパパのものはなんでも取っていたっぽいのですが、執着の対象だったイクメンパパが死んだのにまだかなちさを呪う意味がわからない。

まあ、原作のカジュアルにちょっと呪ってみたって理由も意味不明ですが。

魔導符の作り方簡単だった

映画を見た時に「民俗学をちょっとかじったくらいで魔導符作れるの!?」って思ったのですが、原作読むと魔導符の作り方めっちゃ簡単でした。

伊勢神宮の御札のさきっぽを黒く塗るだけで完成していました。これなら私でもできる!って思いましたね。

後は赤い水引を黒くしたり、清明桔梗印を逆さまにするだけ!これだけ簡単だと護符を作ろうとしてうっかりミスで魔導符ができてしまう事態が想像されます。

魔導符だって分かった理由も原作で判明

映画で、仏壇に備えてあった御札を岡田准一が写真に撮ってて、しばらくして「あれは魔導符だ!危険だから燃やせ!」ってまことに指示を出していて、

私は「なんで魔導符ってわかったの?画像検索したら出てきたの!?」って思っていたのです。

原作では、以前に贈った伊勢神宮の御札が効いてないみたいだから、今度は清明桔梗印系の護符でどうだ!って追加で准教授から岡田准一に渡された方除札を、准教授のところの院生が見て「魔導符なんてまだあるんっすね」って気づく流れです。

なるほど、映画でもきっとそんな感じで出てきてないけどこの院生が教えてくれたのでしょう。

ぼぎわんを呼んだもの

魔導符の作り方が簡単だったので、民俗学をかじってなくても作れるわけです。

ってことで、諸悪の根源はイクメンパパの祖母だってことが原作を読むとわかります。

いや、ほんとの根源は祖父で、祖父がDV夫で祖母を虐げ、子どもを虐待してそのせいで子どもが死んじゃったりしていたから祖母が祖父を魔導符で呪っていたわけです。それに呼ばれて悪いものが来ちゃった。

原作で、最強霊能力者ことこに紹介された霊能力者が「あんなん自分には無理!あんなん呼ばんと来ないよ!」って言っていたのですが、呼んだのは祖母だったわけです。

映画だとここら辺の流れはばっさりカットされているのでよくわからないことになるんですよね。

でも映画でなんだかばあちゃんの存在感はありました。

霊能力者(柴田理恵)の設定違いすぎません?

原作を読んでいてとてもびっくりして「反対やん!」って声を上げてしまったのが、ことこの代打霊能力者の設定です。

まことの姉のことこに紹介された霊能力者、映画では柴田理恵なんですが「テレビ出演もしててご覧になったこともあると思います」って言われてたわけです。

原作のこの人の設定「オカルト界では有名だけど、過去二十年メディア出演はおろか、メディア関係者との接触すらすべて拒否」です。

びっくりしました。逆じゃないですか!!

舞台は中華料理屋ではなく、純喫茶。

そこで片腕をぼぎわんにやられて、お亡くなりになります。

後半のぼぎわんとの戦いにはご出演しません。

映画、このあたりかなりけっこう改変してますね。

柴田理恵が素晴らしかったのでここは映画の良い点かなぁと思います。

オカルトライターの離婚理由も逆

オカルトライター岡田准一の子ども嫌い?離婚原因?なんですが、映画と原作では真逆です。

映画だと子どもを奥さんに堕胎させていて、それが離婚原因で、そのことを後悔している感じです。

原作だとオカルトライター無精子症なんですよね。それで奥さんに「私やっぱり子ども欲しいな」って言われたのが決定打になって離婚ぽいです。

それで子どもが苦手というか、普通に子どもが持てて普通に幸せになれる人に複雑な気持ちを抱いているっぽいですね。

いやいや、そこ変えていいの?って読んでて思いました。

最終決戦の舞台が違う

ぼきわんとことこの最終決戦の場所ですが、映画ではイクメンパパの家、原作ではまことの部屋です。

ぼきわんを呼び込むのであれば、映画の方が成功率が高い気がします。なんでまことの部屋だったのかはちょっと謎。霊能力者の家って化物あんまり来たくない場所ですよね。いくら呼ばれたからって!呼ばれたからこそ私が化物なら行きたくないぞ!

霊能力戦の規模が違う

まあここはね。映画の面白いところだったので、それはそれでいいかなって思います。

でもあの霊能力者大集結!ってのは原作にはないです。国家権力を動員して舞台を整えたりもしてません。

琴子が警察の上の人に影響力があるところとかは原作にも出て来るのですが、最後の戦いはことことオカルトライターの二人対ぼぎわん(+ちさ)です。

まことも邪魔しに出てきません。まことがちさを腹の中に抱えるってこともありません。

あ、ファブリーズについては原作でも言及してました。最近はファブリーズも良いらしいってまことの病室でタバコの煙をふーってした時に言ってました。

まことの指輪大活躍

映画を見ていて、あの指輪なんだったんだ?って思っていたまことの銀色の指輪ですが、原作では大活躍です。

ぼぎわんとの最終決戦にまこと自身は参加していないのですが、かわりに指輪が光ったりしてオカルトライターを助けてくれます。

組紐も大活躍

映画では省かれましたが、三重県の化物ってことで原作では伊賀の組紐が大活躍しています。結界を張る感じで使ったり、ちさの中のぼぎわんを封じ込んだりする感じですね。

かなも新幹線のトイレでぼぎわんに襲われた時に、ちさを守るために見よう見まねで必死に組紐で結界をはります。

しかし、トイレってことで、ドアとは別に入れるところがある!!ってなって襲われるわけですが、私このシーンで思わず笑ってしまいました。

マチ
マチ

ぼぎわん、そこから!!!!?

って。ズートピア見た時も思ったのですが「そこから!?」

いやー列車のトイレって簡易水洗だと思うんですが、そこから!?ほんとそこから来ていいの?

昔からいる化物だとするとボットントイレから出てきたらめっちゃ怖いよなぁって思います。

ぼきわんとことこの戦いの決着がちゃんとついてる

原作を読んですっきりしたのはここです。映画だと琴子の生死が不明な感じでしたよね。

原作では琴子が勝ってます。まあ最後の最後にぼぎわんはまだいるの?って描写がありますが、あの対決では琴子の勝利ですっきりです。

あーよかった。

原作を読んでも解明されなかった謎

原作を読んだらいろいろすっきりはっきりするのかなって思っていたのですが、そんなことはなかったです。

ぼぎわんの正体

原作ではいろいろ考察されていて、映画よりはぼぎわんってのが何なのかってのはわかりやすかったです。

でもこれ、一体なんなの?ってのは原作を読んでも残りました。

映画を見た時は、

水を入れた器は好むものとして用意させたのだろうから、喉が渇くってのと共通するのでしょうか?

水を好む山に潜むもの。蛇系?でも蛇は噛み切らないですよねえ。丸呑み系。

って想像していたのですが、原作だと水を入れた器を用意させたのは逃げにくくするためだったし、喉が乾いてもいなかったので水を好むって属性はないようです。

口が、口だけが本体っぽい描写がありました。

ぼぎわんの行動原理

ぼぎわんはイクメンパパの祖母の魔導符によって呼び出されたわけですが、祖母は名前をちらっと祖父に聞いただけの存在なんですよね。

まあ、祖父の産まれたところの化物なので祖父を襲うのまではまあわかる。呪いをかけた祖母を襲うのも人を呪わば穴二つってことで納得。

次に狙われるのが、なんでイクメンなんですかね?小さい頃に祖父と一緒に遭遇したから?

順番にいけば、次はイクメンパパの母じゃないかと思うんですよね。なぜ彼女は無事なのか?

祖母を狙った時は母と同居していたはずなので母もニアミスしているはずです。

いやほんと、イクメンパパの同僚?部下のとばっちりがまたよくわからないんですよね。あの人ほんととばっちりなんですよ。名前呼ばれてもいないですよね?

トリガーが分からない

正直、ぼぎわんが来るトリガーがわかりません。

祖母が祖父を魔導符で呪ったのってけっこう以前な気がします。呼んでもすぐに来てくれるわけでもないっと。

一回来たら道ができたのかもしれませんが、祖母を連れて行くまでにもけっこう間がありました。祖母は魔導符をなくしたので襲われたのかなぁ?それならそれで魔導符を封じる何かを祖母がやっていたのでしょうか?でもそんな描写はなかったです。

イクメンパパが狙われたのは祖父祖母の血を引くからと、一度遭遇しているからだとして、順番があるので祖父と祖母が連れさられるまでは無事だったとして、次に怪異が来たのがあの部下のとばっちりです。

部下のことがあってからお守りを買い集めるようになって、そのお守りをかなが切り裂いた直後に電話がかかってきています。一応二回目のお家来襲時にもお守りを引きちぎっているのでお守りに一定の効果があることがわかります。一応お守りを嫌っているというか、引きちぎる一手間をかけないと襲えていない。

しかし、部下のところまで来たってことはほぼイクメンパパを特定しているのに、お守り買うまでの間に襲わなかったんだなぁって思います。

そして、前にも書きましたが、血筋を辿っているのなら狙うべきは順番的にはイクメンの母です。魔導符も持っているので目印には最適です。

ちさの名前を知ってたのもなんでなのかよくわからないんですよね。

まあ、怖いものってわけがわからないので怖いものなので、傾向と対策ができたらその時点で怪異ではないのかもしれません。

映画「来る」を見てすっきりしたいなら原作を読んでみて

映画は映画で俳優さんの演技が超絶良かったので見てよかったと思っています。

でも映画だと最後すっきりしないんですよね。結局ぼぎわんは何だったの?何が来たの?って思いました。オムライスってなんなんだようって気持ちになって終了します。

原作を読むと、映画よりはいろいろ説明されているのですっきりします。特に最後琴子がどうなったのかがはっきりわかるのですっきりです。

なので、映画を見て、最後がすっきりしなかったって人は原作の「ぼぎわんが、来る」を読んでみて欲しいなって思います。

ただ、原作を読んでも、すべての謎が解けるわけではないのでもやもやっとしたものは残ります。

また、映画より原作の方がずっと怖いと言われています。

私は、映画と原作の差異に気を取られていたせいか、まったく怖さは感じませんでした。だって、

マチ
マチ

えー!!ここも違うの?えっ?ここの設定反対じゃん!!

の連続だったからです。いろいろ驚いていたら読了しました。原作を最初に読んでいたらもっと怖かったのかもしれません。

なので、怖がりの人は映画を見て、その後に小説を、映画との違いを探りならが読んでいくことをおすすめしたいと思います。