映画「怒り」と小説「怒り」の違いについて
ネタバレも多いに含みつつ語りたいと思います。
感想というか吐き出しです。
映画「怒り」を見て、
ちょこちょこひっかかるところがあったので、原作読んだから解決するのかな?
読みたいなと思っていたのです。
読んでみてびっくりしました。
映画を見てひっかかった点が小説だと次々に解決されたのです。
これってどういうことかというと
映画を見て「ん?」ってなった部分は映画化にあたって改変されているところなわけです。
ちょっとうわぁと思いました。
映画を一回しか見ていないのできちんと読み取れていないところ、誤解しているところは多分あると思います。
それでも、そこ変えちゃったのか、だから違和感あるんだね、って納得しました。
映画を見て細かいことがちょこちょこひっかかった人は原作を読むことをおすすめします。
映画「怒り」のネタバレつっこみ感想 もやもやしたものが残るので原作を読んでみたくなりましたは原作を読む前に書いたのでそこで書いてあるところら辺を中心につっこみをいれます。
これも同じくネタバレになりますので気にする方は読まないようにしてください。
以下『』が映画を見た時の私の感想です。
ネタバレあります!
映画「怒り」と小説「怒り」の違いについて
順不同で行きます。
小説未遂
『米兵に泉ちゃんがってところは 「助けないんだー」って思いました。
最後の方で、最後までやれよ!腰抜けが!!みたいなことを田中が言っておりましたが、最後までやられてなかったの?
かなりやられているように見えたのですがフィニッシュまではいってなかったのでしょうか』
小説を読むと未遂です。下着を下ろされるあたりで声がして米兵は去っていきます。
ここ、映画を見てると混乱したんですよね。映画だと確実に入ってた。なのに田中は最後までやれと言うから、
あれ?
ってなりました。小説だと納得です。
あと小説だと白人の米兵二人組です。
映画だと一人は黒人でしたよね。
この変更些細なことなんでしょうがいやらしく感じます。
水槽壊してないやん!
『田中さんの破壊活動につては予告で見た時点で「うわぁ、やめて、水槽壊すの私ちょっと見たくない」って思ったくらい苦手です』
小説に破壊活動はなかった。
あの暴れっぷりはなかったんです。あのシーンほんと苦手だったので原作読んでこのシーンがなかった時は「あれ?」と思いました。
映画の予告にも使われてたし力を入れたシーンなんでしょうけど、個人的には無い方がよかったです。
生き返らせようとしていたわけではない
『そもそもの夫婦殺害事件が私には謎過ぎてそこをちゃんと説明して欲しいのですが
夏の暑い日の出来事ですよね。
お茶をもらって哀れまれたと思ってカッとなってやった的に解釈しましたが。奥さんを首を絞めて殺したまでは衝動的として、その後暑い家の中一時間風呂場で生き返らせようとしていた、というのが意味不明』
生き返らせようとしてた、との描写は小説にはありません。
考えてみたら当然ですよね。
あの別件で逮捕されて山神の知り合いだとかいう男の人がそこまで踏み込んで話を聞いていたとしたら、山神殺人を自供してることになるじゃないですか。
殺さないと生き返らせようとしたなんて言葉出てこない。
これは現実で起きた事件「光市母子殺害事件」とダブらせようとしたのだと思いますがここもすごくいやらしく感じました。
少年の原因っぷりがちょっと違う
『あ、少年といえば君は何歳なんだね。
君が泡盛なんて飲んだのがそもそも悪いんだよ、そしてふらふら歩き回ったのが敗因だ。
未成年なら飲むな!!多分未成年だね?報道で少年っていわれてたし』
映画だとかなり少年が悪いことになっていましたが、小説だと少年は酔いつぶれて動けないので、荷物を置いてもらっている家まで泉ちゃんが一人で行ってこようとしたという経緯です。
少年が悪くないとは言わないけれど、映画での描写だとあんまりだ。
店の人も一応少年少女には飲むなと注意をしています。まあコップ三つ持ってきた時点で有罪だけど。
指紋は一致していない
『そういえば田代くんでしたっけ、指紋が誰それと一致しましたって言われてたけど、前科ありなんですか?悪いことしたの?一般人だと指紋照合でひっかからないですよね』
小説では指紋は山神とは一致しませんでした。そして過去の犯歴もないので名前はわかりませんとなっていました。
それなら納得なんですよ! なんで映画は名前がわかることになっているの?
前科者ってことですね田代くん、何をやったことになっているんだ!
お墓に入れてた
『なおとくんと彼との出会いはいくらあんな場所でもあれ強姦じゃないですかね
身体から始まる恋ですか、そうですか。
隣のお墓には入れたのでしょうか。あそこ高そうだったから無理だろうなぁ、
あの女の子が遺骨を預かっていて後からあの男が入れに行ったりするんでしょうかね』
原作だと共同墓地に埋葬されてたお骨をお母さんと一緒の墓に入れてますね。
まあこれは時間的に入れられなかっただけだろうと思います。
ネタバレ感想で書いたことで原作読んですっきりしたことはこんなところです。
細かい違い
他、細かい違いをあげていきます。
愛子は太っている設定のようですね、宮崎あおいは役のために7キロほど太ったそうですが、ぜんぜん細かった。もとはどれだけ細いんだ!!うらやましい!
愛子親子が東京から帰ってきた時に叔母が車で迎えに来て帰る途中で田代と会う時に映画だと土砂降りなんですが、小説では雨が降っているという描写はありません。
あそこ不思議だったんですよね、あんな雨の中でわざわざサッカーのコーチ?の事とか「どこ行ってたの? コンビニ?」とか話するのちょっと不自然じゃないですか?
今話さなきゃ駄目ですか、それ?雨なんで早く帰りたいんですけどって気持ちになってました。
愛子のお弁当作成もそうです。映画だと突如、作ったげよか!ってなってましたが、小説の方だと田代の下宿先のおばちゃんが出てきていて、こんな年寄りの作るものじゃ口にあわないだろうからお父さんの弁当作ってるならついでに作ってあげたらと提案している。
こっちの方が自然だよなぁ。映画だと役者と時間の関係があるだろうから些細なことだけど。
直人が喫茶店で女性と談笑していた件をゆうまが聞き出すシーン
映画だと彼女との関係を答えないんですが、小説だと一回は言いたくないって言うけどその後、妹だって答えてるんですよね。
映画の対応で隠す必要を感じなかったので、「なぜ言わない!?」って思ったのですっきりしました。言うてるやん!!
山神が少年に刺された場所も映画だと無人島でしたが小説だと民宿でした。
映画見た時にここで刺したならほっておけば完全犯罪ではないかと思ったので、なんで犯行がばれたのかばらしたのか疑問だったのですが、民宿で刺したらそりゃばれるわ。
泉ちゃんが襲われたことについての落書きですが、映画だと刻み込んでましたが原作だとマジックです。
ですよねー衝動的にあったことを書き込むのが癖なのだから石かハサミでこつこつ刻み込むとか一文字書くのも面倒ですよ。
映画的な見栄えで刻み込んだんでしょうけど、そこも違和感ありました。これ刻み込むのにどれだけかかるの? って。
怒の文字も映画だとハサミで削ってありましたが、小説だと赤いペンキです。
映画の最後、泉ちゃんの絶叫がありましたが、原作だと泉ちゃんは叫んでいません。
声を上げそうになりながら必死に耐えるんです。
そしてその後悩むけれど、自分がされたことを打ち明けることになるけれどしっかり少年が山神を殺害した理由を警察に伝えます。
原作改変は仕方ないことだけれど惜しすぎる
上下巻の小説を映画にするのだから時間がない、それはよくわかります。
いろいろ削らないと入らない。改変してつなげていかないとおさまらない、そうでしょう。
でも、惜しいな、と思うのです。
特に三人の後日談はもうちょっときちんと処理してくれていたらな、と思います。
田代くんへの説得も映画だとただ戻って来いだったけれど、小説だと実際にやくざがやってきて対応した後だったので説得力がありました。
とても面白い体験でした。
映画を見てから原作をちゃんと読むのって面白いです。
ここまで映画を見てひっかかった点が原作を読んだ時にすっきりするなんて!!
映画を作るなら原作に忠実に作るべきだ、と言うつもりはありません。
でも変える必要がないところを変えなくてもいいのになぁと思いました。
映画「怒り」を見て私と同じようなひっかかりを覚えた人がいるのなら、ぜひ原作を読んで欲しいと思いました。
お願いします。原作を読んでください。すっきりしますから!
映画「来る」も映画を見た後に原作を読むと、かなり改変があってびっくりします。