映画「ドリーム」を見た感想。それはどれだけすさまじい才能だったのだろう【ネタバレ有】

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こんにちは。映画「ドリーム」を見てきました。この映画については邦題でけっこうもめましたよね。

「Hidden Figures(隠された人)」ってのが原題です。

もうそのまま原題のカタカタ読みとかで出しちゃってもよかったのではないかと思います。

ドリームだけだと検索しにくいんですよね、とても。

見てきて思ったことを備忘録的に書きたいと思います。

けっこう最初から最後まで私はずっと涙ぐんでいました。要所要所でぐっとくるシーンがあって。ドライアイの人におすすめしたいくらいにはずっとうるんでいました。

見終わって、いい映画を見たなぁと思いました。しみじみと見てよかった映画です。

差別を扱っているので見ていてとてもつらい場面もありました。

私が見ていて、とても強く思ったのは、これだけの差別の中にあっても、差別をしている人達が必要とし認め頼らざるをえなかった才能っていうのはどれだけすさまじいものだったのだろうか、ということでした。

多分、映画製作者の意図した方向とはずれていると思うのですが、才能っていうのはなんなんだろうって、そう考えていました。

ドリームを見たという前提で書きますので、ネタバレはします。基本的に私はネタバレなしに映画の感想が書けません。見ていない人はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレあります。ご注意ください。

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ドリームの簡単なあらすじ

アメリカとソ連が宇宙へ行く技術を競い合っていた頃のお話です。

ロケットを飛ばすのに必要な計算を全部手動でやっていた頃のお話っていうのがまずもう今からするとファンタジーですよね。

その計算をするのに女性計算員としてNASAに雇われていた黒人グループの中の三人の女性にスポットをあてて描かれています。

有人で地球周回軌道にロケットを飛ばすっていうマーキュリー計画のお話が軸なんですけど、1960年代のお話なので、黒人差別がすごくナチュラルに行われていて、さらに主人公は女性なわけです。

差別に才能とまっとうな手段で立ち向かったお話と言ってもいいのではないかと思います。

見ていて思ったこと。

私は名前を覚えるのが苦手なので、とりあえず、

主人公の天才数学者、お手当てのもらえない実質管理職、言動に注意が必要な技術者になりたい人、とします。

記憶が薄れてしまう前に思ったことを書き留めます。

主人公の少女時代でまずジーンと来た。

あの時代において、天才少女に必要な教育を受けさせるために両親は何を犠牲にしたのだろうか、とそれを思った。

引越しをしたのかな?なんだかちらっとそのようなことも言っていたような気がします。

先生方の努力、集めてくれたお金。

そんなものを見て、まず涙腺が緩みました。

その後母は出てきたけれど、父は出てこなかったように思うので、二代連続シングルマザーだったのでしょうか?

NASAで働く黒人女性という存在。

NASAというアメリカの頭脳が集められたであろう天才集団という場所に、黒人差別がまだ普通のこととしてある時代に黒人女性が勤めているということ。

それは何を意味するのでしょう。

差別をしても、いくら貶めようとしても、認めざるをえない価値がある、そういうことなのかなと思うのです。

同じだけの才能、能力であれば、白人と黒人がいた時にどちらが採用されるかと考えてみればそれは明らかです。

安く雇えるというのもあるのかもしれません。

主人公の台詞で服装規定について、ネックレスは真珠のみ、みたいなやつについて「黒人のお給料では真珠なんて買えない」旨の主張がありました。

給与面等の待遇がかなり悪かったというのは確かなことだと思います。それでも何十人もの黒人女性が雇われていたというのは彼女たちの能力がすさまじかったということなのだろうなと思うのです。

計算センターは女性のみ?

ちょっとひっかかったのですが、計算センターは西と東に分かれていて、それは黒人女性と白人女性に分かれていたと思います。でもどっちも女性ばっかりでしたよね。

男性の計算手っていないのかしら?

ロケットを飛ばす主要部署は男性ばっかりだった記憶です。裏方は女性!みたいな、事務職は女性!みたいな感じで計算は女性!ってきまりがあったのでしょうか?

まだ女性差別もさかんだった時代だとすると、主人公たち3人は黒人差別だけではなく女性差別とも戦わないといけないわけで、これはかなりつらいことです。

コンピューターに仕事を奪われるならどうすればいいのか。

管理職じゃないのに管理職の仕事をしている人は、管理職としてかなり理想的な人なんだなぁと思いました。

人力で計算をしていたところに、コンピューターがやってきて、これが主力になったら自分たちがいらなくなるかもしれないという時にどうすればいいのか、自分だけでなく自分たちはどうしたらいいのかを考え導く役割をします。

ただ、その手段として図書館の本をちょろまかすのはやめていただきたいと思いました。あそこは映画とはいえちょっとどうなの?って思った部分です。

私の税金で買ったものだから私のものみたいな理論を大画面で言って欲しくはなかった。

コンピューターに仕事を奪われるなら、そのコンピューターを扱う人になればいいという彼女の気づきと努力はすばらしいと思います。しかも自分だけでなく部下にもその能力を身につけさせ、自分だけでなくグループとしての利益を追求したのはとてもよかったです。

颯爽と彼女たちが歩いてコンピューター室に行く場面は見ていてとても気分がよかったのです。

事実にそっているからか挿入される軍人さんと主人公のロマンス

見ていて、ここは別に私にとってはあまり必要ないなーと思ったのは主人公と軍人さん?のロマンス部分です。

事実に沿っているので苗字が変わったりする都合上必要なのかなっと思ったのですが、唐突に出会って、ほぼ二人とも一目ぼれ状態なんです?なのであまりこう私的に盛り上がりポイントを探せなかったです。

軍人さんが、無意識に差別意識をぽろっとこぼしちゃって主人公が怒るあたりは好きです。

NASAに入れたのはめがねだからよ!みたいなことを言っていましたよね。

黒人であろうが女性であろうが関係はなく、求められているのは能力であるという自負でしょうか。

プロポーズも結構唐突だったりしましたが、軍人さんの母上の結婚生活年数を最後でちらっと超えたっぽいナレーションが入ったのでここで伏線回収かよ!って思いました。

トイレ問題はとても深刻だと思うわけで。

見ていてやっぱりつらかったのは主人公のトイレ問題です。

これはかなり深刻な問題です。

差別のため使うものが何もかも分かれていて、主人公が使えるトイレが近くにはなく、往復40分かけていかないといけないわけです。ヒールで、膝下スカートで。

雨の日も傘もささず行っていましたが、大事な書類は大丈夫なのだろうかって思いました。

書類を持って走るのは何故なのか。重要書類なので机に置きっぱなしができないのか、トイレ中で少しでも仕事をするためなのか。

あの職場なら鍵のかかる棚くらいありそうなので、書類は持たずに全力疾走した方がトイレしながら計算するより効率的なのでは?って思いました。

まあ、とにかく、あの上司がハンマーで白人専用の看板をぶち壊して、

「おしっこの色はいっしょだ!」っていうシーンはよかったですね。

あの上司、別に差別はするべきじゃないとかいう主義主張を持っていたわけではなくて、単に効率を求めているっぽいところが好きです。

数字以外どうでもよくて、主人公がきちんと数字を示せるから必要なんですよね。

当然だと思っていることは差別意識ではないのか。

印象に残ったシーンに実質管理職な人が白人女性の上司に「私には差別意識なんてないことはわかってくれるわよね」みたいなことを言われて「ええ、そう思い込んでいることはわかります」みたいに答えたシーンがあります。

あの女上司も別に悪い人というわけではなくて、その時代のスタンダードな人として描かれていると思います。

トイレもポットも水のみ場もバスの座る席も図書館の利用する場所も、すべて分けられていて、それが生まれた時から当然であれば、それに疑問を持つことができるでしょうか?

違うものとして認識しているのです。男子トイレと女子トイレが別にあるのが当然なくらいの当然さではなかったのでしょうか?

おしっこの色が同じだからって同じトイレを使えって言われたらどういう気持ちになるのかな。上司命令だからって本当に気兼ねなく使えるのだろうか。

もともと女子トイレって怖い場所ですからねぇ。映画の場面だからあそこは痛快でしたけど、実際だとあれめっちゃ問題だよなぁと思いながら見てしまいました。

だって、上司男だしー、あんた関係ないもんね女子トイレに。

だから、あのトイレのシーンはちょっとドキドキしました。実質管理職が取ってあげたペーパータオルを白人上司が使うのかどうか。

あそこで、差し出されたタオルを使うことで女上司は自分は差別主義者ではないってことを示したつもりだろうと思うし、でもそういうことじゃないのよねって実質管理職は思ったのでしょう。

黒塗り資料から読み解く能力

主人公の天才っぷりをあらわすエピソードとして、重要な部分はすべて黒塗りにされた資料の行間からその全貌を読み解き、このままの計算ではこの計画は失敗するとの計算を黒板に書くところがあります。

あの黒板に書くのにはしごをつかって書くやつなんかおもしろくて好きですね。

そして字が読みやすくて綺麗だなぁと思いました。私の勝手な偏見として天才系の人って字があまり上手じゃないイメージがあるんですよね。自分だけが読めればいいや的な字といいますか。

綺麗にまっすぐに黒板に書けるってすごいなぁと思います。

一回でも黒板に字を書いたことがあればわかると思うのですが、あそこに綺麗に字を書くって結構な難易度です。私は横書きの場合は基本右あがりに斜めになってました。

光にすかしてアトラスの文字を読み取り、消された数字を類推する。

探偵のようなその作業によって、主人公は上司に認められることになります。

同僚の男性は主人公を認めないっていう立場に立っているので見てる側としてはイラっとしますが、あの男性もあの時代の人としてはプロトタイプなのだろうと思います。

裁判官への訴え

ちょっと言動に注意が必要なエンジニアになりたい彼女。この映画では三人の女性の生き様が描かれていますが、技術者になりたい彼女の裁判官への主張はこの映画の中でもかなりこころに響く場面ではなかったかと思います。

彼女たちはとてもクレバーです。差別に対して毅然として理性的に立ち向かいます。

この裁判官への訴えも、彼の経歴を調べ上げて、なしてきたことを肯定し、自分も最初の人間にならなければ自分の希望がかなわないのだと理路整然と主張するのです。

うまいなぁ。そう思います。

ただ、そこまでしても、あそこで引き出せるのは「夜間のみだぞ」という許可なのかと思いました。

それでもすごい進歩なことには変わりないのですが、彼女が勝ち取った当然であるべき学ぶ権利は尊いものだと思うのですが、夜間なんだ、と思ったのです。

彼女が正しいというなら飛ぶ

後半のクライマックスシーンで、初の有人飛行に望むパイロットが、彼女が計算して正しいというのなら俺は飛ぶと言ったあの言葉でも私は涙ぐみました。

前日にコンピューターが計算した落下地点と、今日出てきた数値が違っていたのでしたっけ?

ちょっと待ってよ、そんな状態で飛ぶんかい!?って思ったのですが、その極限の状態でパイロットが思い出したのが、あの会議の時にすらすらと変わる数値に対応して落下地点を計算した彼女の姿だったのでしょう。

名前すら覚えていないけれど、あの天才が出した答えならきっと正しい、そう思わせるだけのものをあの時主人公が示したからこその信頼。

それに応えるべき彼女がもう上司の下にはいないってのがちょっと切ない話です。

ってか、黒人女性が勤めているところには電話すらないの?部下の一人がメッセンジャーになってましたけど、よくあの部下場所を知っていたな!と思います。

私なら片道20分かかるくらい離れた行ったこともないだろう場所になんて行ける気がしません。

主人公は計算して結果がでましたけど、結局昨日の数値と今日の数値とどっちが正しかったのかってのは出てこなかったような気がします。

めっちゃぎりぎりで電話が間に合ってましたけど、あの電話がかかってこなかったらパイロットは飛ばなかったのかしら?あそこまで準備いってたらパイロットの一存でやーめた!ってのはできなそうな気がするのですが。

そういえば、ちょっと気になったのはコンピューターを扱っていたって実質管理職なのでは?って気がしたのですが、助言をしてただけで、まだ実際には主任ってわけではなかったのでしょうか?

コンピューターが出した数値が違うってことになると、実質管理職と主人公の対決なの?って思ったのですが、実質管理職は普通にまだ西計算センターでしたっけ?あそこにいましたよね。

名前を入れてはいらないといわれるシーン

主人公が何回かタイプライターを打つシーンがあります。

書類を作って、そこに作成者の同僚の名前の次に、計算者として自分の名前をタイプしては、その名前はいらないといわれるシーン。

二回はあったと思います。

最後でも書類を作って名前を打ち込んでいました。

最後同僚がコーヒーをくれるシーン

その打ち込んだシーンで、あの同僚がコーヒーをくれたんでしたっけ?

同じポットのお湯を使うことすら、あんなぎょっとした目で見てきて、黒塗りの資料を渡し、書類作成に名前をタイプすることを否定した彼が、自発的に主人公のコーヒーを入れ、手渡すあのシーンを見て、なんだろう、こういう風に変わっていくのか、変わっていけばいいと思いました。

ドリームはとてもいい映画でした。

見終わって、本当にずっと私の目はうるんでいたなぁと思います。号泣とか涙が流れるってところまで行かないのですが、ずっとうるんでいました。

差別が差別としてそこにあった時代の物語なので見ていてつらい描写があります。つらいといっても暴力的な場面はないのですが、それだけに本当にそこに自然にある差別に今の感覚で見ているとぎょっとするのです。

ただ、これはほんの55年ほど前の物語なのです。60年経っていない。

だからまた今から60年ほど経って今を振り返れば、ぎょっとするような差別が普通のこととしてここにあるのだろうと思います。

当然のことのようにあるものに差別している側は気づけないのだなぁとそんなことを考えました。

どんな状況にあっても、才能と能力ってのは必要とされると現れるものなのかっていうこともぼんやりと考えます。

私は昔、フィギュアスケートを見るのが好きでした。伊藤みどりが活躍していたころが一番見ていた時期だと思います。

この映画を見て、スルヤ・ボナリーのことを思い出しました。彼女の身体能力は素晴らしかった。私は彼女の演技を見ているのが好きでした。

バックフリップを飛んだのも見ていました。あれを飛んだ彼女の心境を思いました。

とりとめもなく、見た後にいろいろなことを考える、考えてしまう映画でした。

私なりにこのドリームという映画をゆっくりと飲み込んで、自分の中にどう据えるのかを考えていきたいと思います。