映画「この世界の片隅に」を見て ネタバレ感想ちょこっと考察 海の沖波を見るたびに思い返す映画です。

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たんぽぽの綿毛

こんにちは、「この世界の片隅に」という映画を見てから私にはちょっとした癖がつきました。

海のそばを通る時に、波を見てしまうのです。

強風の日にふとみた海に、三角波が立っていました。

マチ
マチ

ああ、うさぎだ!本当にうさぎが跳ねている!

そう思いました。

すずさんがあの日に描いたあの絵が脳裏によみがえりました。

それ以来、あのうさぎを探してしまうのです。

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映画「この世界の片隅に」への期待

「この世界の片隅に」の評判はとてもいいものばかりでした。上映館が少なく、見た人も少ないはずなのに、この映画を見た人はほぼ例外なくこの映画について褒め称えていました。

そんなにいい映画なのだろうか? その評判を見て私は首をかしげていました。

映画の当たり年「シンゴジラ」「君の名は。」そして「この世界の片隅に」

2016年という年は日本の映画にとって、記念すべき年になるような気がします。私はあまり映画を見るほうではありません。

その私が映画館に行き、映画を見るようになった一因として、去年上映された映画の影響があります。

本当に最初、なんの興味もなかった「シンゴジラ」や「君の名は。」という映画はSNSによって凄まじい勢いで感想やおすすめポイントなどが拡散されてきました。

よくわからないけれど、見に行こう。そうして、見てよかった!と思える映画でした。

「シンゴジラ」や「君の名は。」がツイッターなどのおすすめで見に行って私にとって当たり!だったので、この映画をすすめてくれた人たちがこぞって絶賛する「この世界の片隅に」という映画も、気になっていました。見てみたい、そう思っていたのです。

事前の評判が良すぎた

でも、何分、この「この世界の片隅に」という映画は評判が良すぎます。

見た人の中には「2016年の映画の中で1番だ!!」と言っている人を複数いたほどです。

戦争の中の日常を描いた映画で、広島が舞台ということはまあ原爆描写があるんだろうなと思いました。そんなちょっと重いテーマなので、見る人に批評を許さない映画なのかな、とちょっと斜めに思っていました。

これを否定したらちょっと人間的にどうなの!? という作りの映画なんじゃないのかしら、と。

上映館の少なさ

見たいとは思っていたのですが、問題は上映館の少なさです。はじめの頃は本当に上映館が少なかったですね。

見たいと思っても見れるところが少なく、大都市ではある程度口コミなどで話題になっているので満員で見れない、という状況のようでした。

近くでは見れない

私はかなりな田舎に住んでいます。なので上映館情報を見たときにはかなり絶望しました。

無理でしょ、これ。見るためにはかなり大都市に出かけないといけません。

時期をずらせば県内でやっているところもかろうじてあるみたいだけれど、この映画館すっごく行きにくいところにあるし、多分席数がとても少ない。

大都会にしろ県内にしろ、行っても見れない可能性がかなりあるので、勢いで見に行くのはちょっと無理、という状況でした。

ロングランになってやっと近くにやってきた

しかし、この映画が評判になり、徐々に上映館と上映期間が延びていきました。

無理だと思っていたのですが、行けなくはない映画館で上演が決まった時にはとても嬉しく思いました。

これで見れる。けれど、ちょっと待て、と。

あまりにも前評判がよすぎます。そして見たいなと思って待ちすぎています。

過度な期待は危険です。見たときにがっかりするのは避けたいのです。

見に行くときにはとても期待をしていただけに、反対に期待しないように見よう!!というわけのわからない状態になっていました。

期待を裏切らない映画

結果を先に言えば、この「この世界の片隅に」は期待を裏切らない映画でした。

よい映画です。けれど、私は周りの人をひっつかんで「絶対に見て!!!」と言い回る気にはなりません。そういうのではなくて、もし見たいなっと気になっている人がいるのなら、「私は見てよかったと思うよ」とそっと背中を押したい。そいう気持ちです。

マチ
マチ

見たい人は見るといい。見ればいいよ。私は見てよかった。

そういう映画です。

事前情報をあまり知らずに見れた

SNSでおすすめはされていたのですが、私は見たいものだけ目に入れるタイプなのと、私のTLには過度なネタバレをするような人はいないのです。

そのおかげで、上映開始からかなり時間がたってから見に行ったのに、私は全然事前情報といいますか、ネタバレ的なものを知らずに見に行けました。

それは幸せでもあり、衝撃でもありました。

ほのぼのとした映画だと思っていた

予告画面の絵の雰囲気や、のんさんが当てている声などを聞いていて、戦争中を舞台にしているけれど、どこかほのぼのとしていて、そんなに悲惨な描写はないんだろうなっとぼんやり思っていたのです。

戦争中でも生活はしなければならないから、どうやって普通の女の人が戦争の中の日常というのを生き抜いていったのか、そんな話なのかなっと勝手に思っていました。

それは間違いではなく、そして、間違いでしたね。

たんたんと、ただ淡々と紡がれていく日常の中にシリアスなことも悲惨なことも目を背けたくなるようなことも、怒りも悲しみもやるせない思いもすべてがつめこまれていました。

なんでしょうね。物語としては本当に淡々と進んでいきます。

私は見る前はもしかしたら、寝ちゃうかなぁと思っていたのです。

寝ませんでしたね。途中ほんの少しだけだれたところはありましたが、基本あの世界をじっと見つめていました。

そうさせる力が確かにありました。引き込まれましたし、笑いましたし、泣きました。みてよかった映画です。

順不同での感想、つっこみ、ちょっと考察

これからこの映画の感想というか、つっこみというか、見て考えていたことなどを述べたいと思います。

ネタバレをします。見たことを前提で書きますので、ネタバレを見たくない方は引き返してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは、はじめます。ネタバレありますよ。注意してくださいね。

すずは決して能天気なだけではない

主人公のすずさんはのんびりぼんやりした女性として描かれています。

けれど、そんな能天気なだけの人はいないでしょう。一人で遠くはなれた呉に嫁いで来て、苦労をしていないわけがないのです。作中笑いを取る要因になっていたハゲですが、ハゲができるほど、精神的にはぎりぎりだった。

すずさんのキャラクターでかなり救われていますが、あの状況に自分がなったら三日も持たないと思います。すずさんはすごいなぁ。

けれど顔も知らない人のところに嫁ぐのも昔はありふれた話だったのでしょう。すごいくじ引きですよね。当たるか外れるかで人生決まっていまう。

座敷童子の女の子

映画が始まった後しばらく、すずの幼少のころが描写されます。そのすずの子どものころのエピソードにはどれもちょっとした不思議が描かれています。

人食いにさらわれて海苔で夜を作って脱出。おばあちゃんの家での座敷わらしとの出会い。

最初は、あれ?これってちょっとぼんやりしている女の子が妖怪というか異界と触れ合いつつ戦争を生きる話だったの?そんなの聞いてないよ?原爆の時に知り合った妖怪にかばわれて助かったりするの?

と思ったわけですが、そういうことではなかったですね。

すずの子どものころの不思議は後にある程度解明されます。

その中でも座敷わらしであるリンはかなり重要人物です。

主人公が鈴(すず)で座敷童子は鈴(リン)です。

このリンはもう一人の主人公ということなのだと思うのです。

原作とのつながり

私は原作は読まずに映画をみました。映画を見た後ちょっと情報量が多くて納得できない点があったのでネットで情報を集めたところ、原作で描写されていたことが、映画にも影響を与えていることがわかりました。

原作ではリンと周作さんの関係が明確に描かれているそうです。

正直、えっ?そうなの?と思いました。

思い返せば一瞬だけ、リンの生い立ち、遊女としての回想シーンで男性とねんごろになる場面がありましたが、何分あの絵なので、あれが周作さんだったとは思いませんでした。そうなのか。

周作さんからすずに渡された手帳が後半、すみが切り取られているのには気がついていたのですが、どういう意味があるのかさっぱりわからなかったのですが、切り取られた部分にはリンの好きな竜胆の花が描かれていたようですね。

それが切り取られていた、ということは映画の中のすずさんも原作のすずさんと同じように、周作さんとリンの関係を知っていた、ということになるのでしょうか。それはなんだか切ない。

原作と映画は別次元ということで、そのことは知らないすずさんなのかなと思っていたのですが、どうやらそうではないようです。

水原さんとの一夜について

この、周作さんとリンの関係を知っているかどうかによって、水原さんとの一夜というのの意味合いがかなり変わってくるように思うのです。

最初原作のことをまったく知らない状態で映画を見た時は、周作さんはあの小さい時の邂逅を大切な思い出としており、あの女の子を探し出して結婚したロマンチストですずに一途な人で、自分の我侭で探し出して結婚してもらったので、すずに対してちょっと負い目を持っているのかなと思っていました。

だから、自分にはしない態度で対応する水原さんとの関係を、多分自分に嫁ぐ前に相思相愛だったのだろうと推測し、もう会えないかもしれない二人を苦渋の思いで二人きりにしたのかなっと。

しかし、周作さんがリンに入れあげていて、結婚も考えていたけれど両親に反対されて、他の女なら誰でもいいから結婚しろと言われて、じゃああの子を探してくれ、探してくれたら結婚する!みたいに、無理難題としてあの思い出を使ったのだとしたら、私の中の周作象はかなりポイント下がります。だた下がりです。

そりゃすずさんに罪悪感も抱きますよね。すずさんの昔の恋人らしき人が出てきたら、ごめん!って思うよねぇ。

でも、どちらにしろ、私はあの場面はちょっとないな!と思っていました。自分の妻を因縁のありそうな男と二人きりにするなんて。ましてや母屋の鍵を閉めるとかないわ!駄目だわ周作!!

しかし、海軍の「上陸して風呂に入って来い」ってある意味隠語なんですかね?

「お風呂を貸してください」ってもしかしてそういう意味あるんです?

白波のうさぎ

映画を見ていて最初のころは、すずさんと水原さんが結ばれるんだと思っていました。

そういう感じで進んでいましたよね?素直になれない水原さんとぼんやりのすずさんがとてもまとまりそうないい雰囲気で進んでいました。

すずさんが水原さんの代わりに描いた海の絵が好きです。

沖の白波をウサギに例えたあの絵はとても美しかった。

先日、海沿いを通った時に風が強かったので、沖に三角浪が立っていました。思わず「うさぎだ!!」と声に出すくらい、うさぎでした。

あのシーンは私の中に残り続けて、沖の波を見る度に思い出すことになるのだと思います。

おとうさんがしぶとかった

戦時中の映画なので、見ている間心配していたのは人死にです。主要人物のうちどれだけ亡くなってしまうのだろうと思っていました。

特に心配していたのはおとうさんです。彼は正直亡くなると思っていました。周作さんも途中で危ないと思っていました。

けれど、おとうさんはしぶとかったですね。怪我もしていたし、行方不明にもなっていて、重態でありましたが最後まで生き残りました。良い意味で意外でした。

周作さんもしぶとかった。

思いがけなかったのは晴美ちゃんです。本当にそういうことになるとは知らなかったので、嘘やろ!?と思いました。

作中で、どんどんあの日、広島に原爆が落ちる日が近づいてくるのを、祈るような気持ちで見ていました。一人でも多く助かってほしい。巻き込まれるのはわかっているけれど、もう変えられないことだけれど、その日がこなければいい。そう思いながらみていました。

さりげなく描写された、広島から歩いて呉まで帰ってきた顔も分からずりんぽ館?の前で亡くなっていたのは、近所のおばちゃんの息子だったというエピソードは、さらりとした描写だったのですが、それだけに心に残りました。

それまで、丁寧に描写されていた町並みが、人々の暮らしがあの爆弾によって消え去っていく。

私は小さい頃に多分地元の公民館か何かで、はだしのゲンの映画を見ました。こども心にとても怖くて、途中でトイレに行きたいと言って、外に出た記憶があります。

爆発を生き延びても後遺症に悩み苦しむことになることも、さらりとですが描写されていました。すずさんの姉妹の腕のアザのようなものは原爆の後遺症の典型的な例でしょう。

すずさんの右手と広島の女の子の繋いだ手

すずさんと周作さんの間にはこどもはできていませんね。作中で一度妊娠しているのかも?という場面がありましたが、盛られるご飯の量が、一人分ねと言われています。

その後もできることはなく、広島で縁があって連れてきたこどもを育てています。

このこどもの母と繋いだ手は左手だったのでしょうか。

あの時、右手ではなくて、左手を繋いでいたら。あそこの隙間に走り込めば。不発弾のことをもう少しだけ早く思い出していたら。船を見ようと思わなければ。

いくつものたらればがあって、でもそれは選べなかった選択肢です。

初夜の問答

傘の問答は一体なんだったのでしょうか。一応傘は新なのを持ってきたっていうあたり、処女です!って言ってるのかとおもうのですが、傘ってどちらかというと男性の象徴な気がします。

うーん。まあ、そう言うことになっている様式美なんでしょうが、もうちょっと説明が欲しかったですね。

傘の使用法が干し柿を取ることだったので、ん?なんだこれ?って気持ちで見ました。

「この世界の片隅に」は見てよかった映画です

情報量が多く、さらりといろいろ流されているので後からあれはなんだったんだろうと考えることの多い映画です。

事前の評判がとてもよかっただけに、少し警戒して見たのですが、見てみると、なるほど評判がよかったわけですね。と思いました。

丁寧に、作りたい世界をしっかりと作り上げた映画です。この映画が評価されていることを嬉しく思います。

見れてよかった。

そう、見た後に最初に思いました。